奇妙な夢②:真の主体

 回『奇妙な夢』の続き。

 

起床後、私は早速、夢の意味について考えることにした。

 

まずは、夢で見た「5つの画鋲」の配列図を描いた。

 

①   ②
  ③
  ④
  ⑤

 

この配列を見て、私がまず連想したのは、ユダヤ神秘思想・カバラの「生命の木」だった。

 

5つの画鋲の配置が、「生命の木」における “セフィラ” の配置と部分的に重なっているように見えたのである。

 

 

「生命の木」とは、この宇宙を支配する客観的法則を説明した図形のことである。

 

また、「セフィラ」とは、この “木” の上に多元的に配置された10の神的原理のことで、あらゆる事象の成り立ちが、その配置関係を通して説明できるとされる。

 

5つの画鋲に対応するセフィラは、いずれも「人間」に関係するものだった。

 

図示すると次のとおりである。なお、カナ表記は各セフィラの名称、括弧内は各セフィラに対応する抽象概念である。

 

①ゲヴラ(判断)/②ヘセッド(慈悲)
   ③ティフェレット(自己)
   ④イエソド(自我)
   ⑤マルクート(体)

 

少し補足すると、③④⑤が人間の「自我意識」の領域で、その中心が④の「自我」である。

 

④は、いわゆる “エゴ” である。

 

③の「自己」は、④より一段階上の意識状態で、いわゆる “真我” である。

 

⑤の「体」は、人間の肉体のことだが、これは “無意識” と言い換えることもできる。心臓の鼓動や呼吸などを司っている、いわゆる “潜在意識” の働きである。

 

①と②は、人間の最高次の自我意識である③と接する、いわば「霊的領域」に属している。説明が難しいが、霊的な精神作用における陰極と陽極、とでも言えばよいだろうか。

 

 

て、ここで前回の“夢”のおさらいである。

 

私は、①と②だけが留められていた「リボン」を見て、その残りの部分を③→④→⑤の順に留めようとしていた。

 

ところが、⑤の手前でリボンの長さが足りなくなって、作業は「未完成」に終わった。

 

そこに、例の “謎の女性” が現れて、私に手本を示した。

 

彼女は、あえて③④をスルーし、リボンを②から直接⑤につないで見せた。

 

 この一連のやりとりを、カバラの「生命の木」に照らしてみると、一つの示唆が得られる。

 

それは、「霊的次元の精神作用は、エゴを経由すると、自我意識の“全体”に及ばなくなる」ということである。

 

実際、私は、③④=精神、⑤=物質という具合に、③④と⑤の間に「線を引く」認識を持っていた。

 

だから、俗にいう「アセンション」についても、その進化対象は専ら精神であり、肉体にはその副次的影響が及ぶ程度、と考えていた節がある。

 

思うに、それは「不完全なアセンション」を目指す方向だったのかもしれない。

 

 

たちの通常意識である自我にとって、体はあくまで「客体」である。

 

だが、「客体」が存在しなければ、「主体」も存在しえない。

 

「私は、生きている」というとき、“生きている”という述語がなければ、主語である“私”も成り立たないように…。

 

むしろ、ある意味では、自我の方が体に“生かされている“ともいえる。

 

では、自我と体を生かしている「真の主体」とは何か。

 

その答えが、夢の中で彼女が示した「①②⑤の経路」に示されているような気がした。(了)