最新で最古の尺度

元号が「令和」に決まった。

 

新元号の発表後、人々の反応は様々だったが、とりわけ令和の「令」の字に対する反応が興味深かった。

 

「和」には、ほぼ全肯定的な反応が示されたのに対し、「令」には、やや否定的な反応も散見された。

 

「令和とは美しい調和(beautiful harmony)の意味であり、そこに権威主義的なニュアンスはない」と、政府が補足説明するような事態も起きた。

 

こうした新元号にまつわる社会動向を追っていて、改めて気づいたことがある。

 

それが、今回のテーマとも深く関わる「自我と尺度の関係」である。

 

 

存哲学の祖と称されるキルケゴールは、著書『死にいたる病』において、次のように述べている。

 

「あらゆる事物は、それが量られる尺度になるものと同質である。」

 

今回の新元号に対する人々の反応を見ても分かるように、同じ事象を前にしても人間の反応は一様ではない。

 

それは、事象をはかる「尺度」が、人によって異なるためである。

 

今回、新元号に権威主義的な印象を感じとった人は、「命令」という言葉の「令」に対して反応したものと推察される。

 

そして、その「令」は、何らかの「尺度」によって、はかられているはずである。

 

心理的な抵抗感は、そのアウトプットに過ぎない。

 

そこで採用された「尺度」はおそらく、 選択の自由ないしは主権在民的な性質を帯びたものだろう。

 

だが、そのラベルが何であれ、それは、その人の「自我」と同質なのである。

 

「尺度」は、「自我」と同質であるが故に「透明化」している。

 

だから、自分では気づくことができない。

 

「未知の尺度」を知るためには、他者の存在が欠かせない。

 

 

号も一種の尺度である。

 

それは、いわば「日本を取り巻く時間」をはかる尺度である。

 

そういう意味では、私たちの存在する空間は、常に「元号によって、はかられている」とも言える。

 

元号のもつ影響力は、私たちが思っている以上に強力なのかもしれない。

 

私たちが元号を日用することで、日本人の集合無意識が元号の持つ意味と「同質化」する。

 

そんな可能性も、一概には否定できないような気がしてきた。

 

 

和の「令」の古典的な意味は、英語の“beautiful”に相当するという。

 

だが、現代人が普通に解釈すれば、やはり「規則(rule)」だと思う。

 

規則とは、いわば、社会の定規・モノサシである。

 

それはまさに「尺度」である。

 

そこで、「令」=“rule” として、新元号を捉え直してみる。

 

すると、そこには「社会公準としての和」が含意されていることが分かる。

 

ここで、かの聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条に思いが至る

 

「和を以て尊しとなす(和を何よりも大切なものとしなさい)」。

 

ちなみに、日本最古の元号「大化」が制定されたのは西暦645年。「十七条憲法」が成立したのは、その41年も前のことである。

 

そういえば、新元号は、日の午前11時41分、当初の予定から11分遅れて公表されたという。

 

語呂合わせ的には非常に「よいと思うが、果たしてこれは偶然だったのだろうか。

 

それとも、神が「はかった」のだろうか…。

 

 

や、元号制度を採用している国は世界中で唯一、日本だけである。

 

しかも、日本では和暦と西暦の両方が使える。

 

もしかしたら、新元号は日本の『和だけではなく、『世界平和』にも通じているのかもしれない。

 

この「最新かつ最古の尺度」が導入される日が、今から楽しみである。(了)