自助努力

 

回に続き、旧約聖書『コヘレトの言葉』について。

 

コヘレトが放つ「最初の言葉」は、次のとおりである。
 
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては、空しい。

(1・2)

 

およそ聖書のイメージに似つかわしくない「虚無主義」的な言葉である。

 

前回も少し触れたが、この『コヘレトの言葉』は、旧約時代の「伝道者」が当時の集会で語っていた内容に基づいている可能性もある。

 

もしそうなら、この「第一声」は民衆に相当なインパクトを与えたに違いない。

 

なぜなら、そういう場所に赴く人は普通、「希望の光」を連想させる言葉を期待しているからである。

 

そこへ、いきなり「空しい」という言葉を放り込んでくるのだから、さぞかし面食らったことだろう(笑)。

 

もっとも、巷間の講演会でも、聴衆の関心を引き付ける効果を狙い、冒頭でこうした逆説的な投げかけが行われることは間々ある。

 

だが、コヘレトの場合、どうもそういう「演出」とは次元が異なるようである。

 

というのも、彼はその後も、この世界の「不条理」をつらつらと言及し続け、ことあるごとに「空しい」という言葉を連発しているからである。

 

それはまるで、人々を「空しい」という言葉で染め上げようとしているかのようですらある。

 

 

て、暇だったこともあり、この「空しい」という言葉を実際に数えてみた(笑)。

 

後学のために、あえて英文の方でカウントしてみたが、私の数え間違いがなければ、「空しい」に相当する言葉の出現回数は「40回」であった。

 

正直、予想をはるかに超えていた。

 

その内訳は、“useless””が28回で最も多く、次いで同義の比喩表現である “like chasing the wind” (風を追うようなこと)が8回、その他(“no meaning”等)が4回である。

 

ちなみに、『コヘレトの言葉』は全12章で構成されているが、このうち第10章を除く全ての章で、「空しい」という言葉が確認できる。

 

要するに、同書の内容は、その字面だけを追えば、民衆の「淡い期待」を打ち砕き、信心深い人を絶望させかねないような中身なのである。

 

だが、同書を丁寧に読み進めていけば、決してそうではないことが次第に分かってくる。

 
例えば、前回掲載した7章16-17節では、コヘレトは人々に対して「死に急ぐな」と呼びかけている。

 

また、「空しい」という言葉が登場しない唯一の章である第10章では、個人の人生に関する「格言」が数多く列挙されている。

 

つまり、コヘレトは、世界には残酷な面が元々あるということを見切った上で、「自ら滅びない」ための実用的なアドバイスを行っているのである。

 

そんな彼が、この世界に絶望した「虚無主義者」であるはずがない。

 


は最近、私に頻繁に訪れる直観がある。

 

その内容は「この宇宙は、自己消滅を選択しないように出来ている」というものである。

 

もちろん、ここは「有限の宇宙」なので、いわゆる「寿命」というものはあるだろう。

 

だから、より正確には「可能な限り存続するように出来ている」という意味に近いだろうか。

 

そして、上記の直観の延長線上で、次のような思いに至った。

 

この世界が終わる前に「自己消滅」を選択する存在は、「反宇宙的分子」として扱われる可能性がなきにしもあらず…。

 

世界を見渡せば、旧約時代の昔から、善は救われる「べき」だの、悪は滅びる「べき」だの、そうならないのは「許せない」だの、様々なイデオロギーの対立が続いている。

 

だが、そうした人間次元の善悪と、宇宙次元の善悪は、必ずしも一致するとは限らない。

 

思うに、前回掲載した『コヘレトの言葉』の7章15節、12章14節あたりは、このあたりの「空しさ」を示唆しているようである。

 


の世界では、「このままでは良くならない」と嘆いたり、環境のせいにしたりする人もいれば、「こうすれば良くなる」を考える人もいる。

 

まあ、人それぞれ勝手にすればいいと思うが、前節で述べた直観に基づけば、後者の方がより合理的な姿勢といえそうだ。

 

敢えてスピリチュアル的に表現すれば、後者の方が結果的に「神様に愛される」であろう。

 

いずれにしても、悩むまではいいとしても、「苦悩」しすぎることは、自分にとっても宇宙にとっても害である。

 

可能ならば、自分の内部宇宙の「苦悩」を止めるくらいは、「神頼み」せずに「自力」で出来る方がいいのである。

 

以上は、コヘレトの深意についての私の直観である。

 

 

人的には、この世界をできるだけ長く観察したいので、「苦痛を感じない程度に欲求不満で、快楽を感じない程度に欲求を満たせる状態」が一番いいと思っている。

 

一般的には「つまらない生き方」かもしれないが、そこはコヘレトの言うとおり、

 

人の言うことをいちいち気にするな。

(7・21)

 

である。(了)